最近、朝が寒い。
布団の中の心地よさと外の冷たさを比べるだけで、もう一歩も動きたくなくなる。仕事や学校に行かなければならないという事実が、余計にその気持ちを後押しする。
それでも多くの人が、「行かなきゃ」と思って頑張る。
でも、たまには「今日は無理」と自分の中で認める日があってもいいんじゃないだろうか?
続く毎日に感じる疲れ
学校には卒業という区切りがあるけれど、社会に出るとその「終わり」は遠くて霞んでいるように感じる。
定年があるとしても、その後も働かなければならないかもしれない。
結婚して家庭に入るという選択肢がある人もいるけれど、家事だって立派な労働だ。どこに行っても、何かしらの「やるべきこと」がある。
この繰り返しが、時には「地獄」みたいに感じる。
大げさだと思われるかもしれないけれど、行きたくない日が続くと心が悲鳴をあげるものだ。
行きたくないなら、行かないという選択肢
「行きたくない」と思ったらどうすればいいだろう?
そんなときは、思い切って休むのも一つの手だと思う。
「サボりは良くない」という言葉もあるけれど、自分を犠牲にしてまで無理をする必要が本当にあるのだろうか?
休むことは甘えじゃない
心が疲れると、次は体が壊れる。
「1日休むだけで、次の日にまた頑張れるなら、それは意味のある休み」と思っていいんじゃないだろうか。
責任はもちろん自分で取らなければならないけれど、それでも「自分を守るための休み」を否定する必要はない。むしろ、限界まで頑張る方が長い目で見れば危険かもしれない。
「自分がいなきゃ回らない」は本当?
職場や学校で、「自分がいないとダメだ」と感じることもあるだろう。でも実際は、ほとんどの仕事やタスクは自分がいなくても回る。
会社の大きなプロジェクトも、学校のイベントも、あなたがいなければ他の人が何とかするものだ。逆に言えば、それだけ誰かが支えてくれる環境にいるということでもある。
例外的な場合もあるだろう。例えば本当の本当にその人しかしらない案件や説明をしなければならない職位持ちなど。でも、それも「日程をずらす」「代替案を考える」といった方法で解決する余地はある。大切なのは、「どうにもならない状況なんて本当に少ない」という事実を知ることだ。
疲れたら「降りる」勇気を持つ
仕事も学校も、果てしなく続くマラソンみたいだ。終わりが見えない中で走り続けるのは、どれほどエネルギーがいることだろう。そんなとき、たまには「ちょっと休む」という選択肢を持つことが大切だ。
誰かが決めた「正しさ」に縛られない
「毎日頑張るのが当たり前」「休むのは甘え」――こんな考え方が染みついていると、休むこと自体に罪悪感を覚える人も多いだろう。
でも、誰かが決めた「正しさ」に自分を縛る必要はないと思う。休むことは怠けではなく、未来の自分を守るための行動だ。
あなたはもう十分に頑張っている
自分では気づいていないかもしれないけれど、毎日仕事や学校に通い続けているだけで十分に頑張っている。
「自分なんてまだまだ」と思うかもしれないけれど、それは他人と比べてしまうから。頑張りを他人に証明する必要なんてない。自分自身で「よくやっている」と認めるだけでいい。
少し楽になるためにできること
行きたくない日は、無理をせず自分に優しくする時間を持ってみてはどうだろうか?
① 今日だけを考える
「明日も、明後日も…」と先のことを考えると気が重くなる。そんなときは「とりあえず今日は乗り切ろう」と目の前のことだけに集中してみる。
② 誰かに相談する
友人や家族に気持ちを話すだけでも、心が軽くなることがある。信頼できる人に「疲れた」と言うことは、弱さではなく勇気だ。
③ 自分を甘やかす
好きな食べ物を食べる、映画を見る、寝る――何でもいい。自分をちょっと甘やかす時間を持つだけで気持ちがリセットされることもある。
結局、行きたくない日はどうすればいい?
行きたくない日は、無理せず自分の気持ちに従ってみるのも一つの方法だ。休むことは悪いことじゃない。むしろ、「これ以上頑張れない」と思う自分の心の声に耳を傾けるのは、健康的で前向きな選択だ。
「自分を守ることが、結局は未来の自分を支えることになる」。そう信じて、一歩を踏み出してみよう。あなたはもう十分に頑張っているのだから。